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社員食堂の昼時間は、いつも通り混み合っていた。 普通はこういった食堂は質より量、安ければそれで良し、といったようにどちらかというと味には保証無しといったところが多い中、この会社の食堂は珍しく味に自信を持った食堂だった。 値段は安いがその分量も少ない。しかし美味い。それにダイエット中の女性社員にとってはこの量が最適であった。幾らか金を追加すれば量も追加される為、殆どの男性社員が追加の物を頼む。値段は多少上がるが、外で食べるのと大して額は変わらないので、この食堂はいつも女性客男性客問わずごった返していた。 「相馬さん!こっちこっち!」 「あ」 Bランチのトレイを持ったまま席を探してウロウロしていた可奈は、ヒトの頭がずらりと並ぶ中に聞き慣れた声とぶんぶん振られる腕を見つけた。 そこに近寄っていくと、その腕の持ち主はやはり、同期で入社して同じ部署に配属された、ここでの可奈のたった一人の友人である椎名奈津だった。 新人社員の自己紹介の後、しりとりのように名前がくっ付くと、奈津が面白がって話し掛けてきたのがここまで仲良くなったきっかけだった。 可奈にとって奈津は、今ではこの社内で唯一の気の置けない友人なのである。 奈津より付き合いの長い筈の祭の存在は、奈津にとっては友人でもましてや恋人という存在でもなく、ただの“大学時代の先輩”に過ぎなかった。 「来ると思って取っといたよ〜。感謝して〜」 「はいはい、ありがとうございますー」 小さく笑いながら可奈は奈津が取っておいてくれた席についた。 奈津の顔を見ると何故か可奈はホッとする。余分な肩の力が抜けていく気がする。 椎名さんは絶対癒し系に違いない、と、可奈はそう思っている。いつもにこにこ笑顔が耐えず、それを見るとこちらも不思議とにこにこ笑顔になる。 そして奈津は見かけによらず、ぱくぱく元気にモノを食べる。 「あ、今日は大盛りなんだ?」 「朝抜いちゃってお腹空いてね〜。相馬さんはいつも朝食べないんだよね?よくそれでもつよね〜。あたし耐えられないよ」 「あー・・・はは〜・・・」 いつもは確かにそうなのだが、4日に1回の今日は別だ。バランスの取れた朝食が起きた瞬間にはもう作られている日。 「そうだそうだ。今日ね、なんの日か知ってる〜?」 「え?なんか特別な日でしたっけ?」 「だよだよ〜。今日ってさ、あたし達の入社三ヶ月記念日なんだよ」 「三ヶ月って記念日になるの・・・?」 「なるよ〜。ほら、三ヶ月目って辞めるってコも多いじゃない?相馬さんまだ辞めないよね?だったら今日は記念日〜」 まるで歌うかのように、奈津はリズムに乗せて語尾を上げる。 「だから、今日飲みに行かない?」 そのリズムをぴたっと止めて問いかけられる。 可奈は飲んでいた味噌汁を一瞬喉で詰まらせた。 「んー、でも今日スクーターで来ちゃったし・・・」 「あたしもそうなんだけど〜、置いといて明日店に取りに行けばいいじゃない?明日はー、土曜日だし!」 「あ、そっか。休みか〜!」 「行く?行く〜?」 「行く!」 明日が休みだと判った途端即答である。 女二人の寂しい飲み会だが、それでも会社での愚痴の言い合いが出来るのも二人だけだからである。 この三ヶ月、まだたったの三ヶ月だけれども、色々なことがあった。会社の中では話せないことも沢山ある。それは仕事関係の話だったり、人間関係の話だったり。 「それじゃあ決定!」 「決定!」 二人してビールのジョッキをぶつけ合うみたいにお茶のコップをかつんと合わせた。 その時ふるると、弱々しく可奈の携帯がバイブ音を鳴らした。 以前バイブを最大にして、机の上で突然ガタガタ鳴り出して驚いて以来最小設定にしてある。 可奈は自分の携帯が震えたのには気が付かなかった。例え気が付いたとしても、メールの送り主が双馬祭であると判れば無視していただろう。そういうわけでどちらにしろ、その時祭が送ったメールは、その日に可奈に読まれることはなかった。 定時に仕事が終わるとすぐに、可奈と奈津は二人それぞれのスクーターに跨って、安い・旨い・早いの三拍子揃った居酒屋へ二人揃って向かった。 実はその店、奈津の知り合いの店なのだった。だから話を付けてスクーターを一晩預かってもらうことが出来た。 店に着くと一先ず三ヶ月記念日に乾杯してから、それから愚痴の言い合いやら会社に入る前の話で盛り上がった。 二人ともつい大声を出し過ぎたりはしゃいだりしてしまったが、金曜の夜はどこの席もそんな風に賑やかだから、誰もそれを咎める者は居ない。 カウンターの席でフラフラにならない程度に酒を飲み、「そろそろ帰ろうか」という頃には、もう12時を過ぎていた。6時間近く二人きりで話していたことになる。それでももうちょっと、もうちょっとと帰る時間を延ばしに延ばし、結局二人が店を出たのはそれから一時間後だった。 奈津と別れてタクシーを拾い、少し火照った顔を窓ガラスで冷ましながら、可奈は奈津にメールを送ろうと鞄の中から携帯を取り出した。 今日は楽しかったね、また行こうね、そういえば日曜日の予定って、ぽつりぽつりと文面が頭の中だけに浮かぶ。 ぱかりと携帯を開くと、未読メールがあることを示すアイコンが出ていた。 そこで漸く、昼に着信があったことに気が付く。送信者は祭。無視しても構わなかったが、少し置いて、可奈はそのメールを開いた。 『入社三ヶ月おめでとう。ついでに実は俺の二年記念日でもあるんだ。という訳で今夜はごちそう作って待ってます。早く帰ってこいよ』 「・・・・・・・・・」 暫くその文面をボーッと見つめていた可奈は、ごしごし、と目を擦って、もう一度画面を見た。 『ごちそう作って待ってます』 待ってます。 待ってます?? 可奈は慌ててメールの画面を閉じて電話を掛けた。相手は勿論祭である。 呼び出し音が聴こえてすぐに、電波が届かない、もしくは電源が入っていない旨を伝えるアナウンスが流れる。これではまだ部屋に居るのか帰ってしまったのか判らない。 すっかり頭が覚めてしまって、可奈は諦めて留守電案内が流れる携帯を閉じた。 先程のメールに返信してもよかったが、なんとなく今更な気もして出来なかった。 やがてタクシーは目的地へ到着し、可奈は運転手に代金を払って車を降りた。 祭が利用している契約駐車場はここからすぐの所にあったが、そこまで行って確かめるよりもまっすぐ部屋に帰る方が早い。 可奈はその駐車場まで続く道に誰も居ないことを確認して、かつんかつんと階段を上り始めた。 自分の部屋は三階にあって、数分も経たずにそこへ到着する。借りた当初とは部屋のカギは違っていた。祭が合鍵を作って不法侵入をしてくる為、可奈はなんやかんや理由を付けて業者にカギを替えてもらったのだ。それでも祭は不法侵入をやめなかった。 流石に二度カギを替えてもらうのは無理だろうと判断し、それから可奈はカギを替えていない。その代わり、不法侵入される度に、勝手に作られた合鍵を祭から没収することにしていた。お陰で同じカギがいくつも部屋に溜まった。 ストーカー被害に遭っている、と言えば一個から三個ぐらいにカギを増やしてくれるかもしれなかったが、・・・やはりそんなことは言えない。“先輩”を警察に引き渡すようなそんなことは出来ない。 「居るか、居ないか」 可奈は鞄からキーを取り出して、それを鍵穴に差し込んだ。ガチャン、カギが開いた。 廊下は真っ暗だった。しかし、短い廊下の向こう側のドアからは、その先の部屋の明かりが漏れている。 彼はまだ、そこに居るらしかった。 ぽこぽことヒールを脱いで、可奈は廊下に上がった。 喉が渇いていたので水を飲もうと思ったが、それより本当に彼がそこに居るのか確かめたくて、ドアを開けた。 彼は、・・・居た。 しかもベッドの上に、体を丸くさせてくーくー寝ていた。 一人用のベッドは可奈には少し余裕があって、彼には少し小さいみたいだ。 テーブルの上には恐らく彼の手作りであろうご馳走が、ラップを掛けられた状態でそこにあった。 可奈は中に水滴の付いたラップをぺりりと剥がした。ぱくりと一口食べてみる。美味しかった。温かければもっと美味しかったのだろう。 椅子の上に鞄を置き、上着を脱いで背凭れの方にばさりと掛けた。 今度こそ水を飲みにキッチンへ戻る。彼は居たが眠っている。そのことにホッとして、コップに注いだ水道水をぐっと一気に呷った。あまり美味しいとは言えない水。でも水の買い置きはもう無い。買ってくるのをすっかり忘れていた。 もう一度水をコップに満たして部屋に入る。 鞄を置いていない方の椅子に座って、可奈は全部の皿の上の物に手を付けていった。 空にすることは出来ないが、朝にはとりあえず全部の料理の感想ぐらいは言えるだろう。男のくせに料理が上手なんて、そう思いながら可奈はソースの付いた指を舐め取る。 ああ、そういえば化粧を落としていない。 ラップを掛け直して、洗面所に行こうと可奈は立ち上がった。そうして、ぎくりとした。 ベッドの上、さっきまで寝ていた筈の祭が、いつの間にか起き出していたのだ。 「・・・・・・おかえり」 その声の低さは、寝起きだからか、それとも怒っているからか、可奈にはどちらとも判断が付かなかった。 そもそも可奈には、祭がすることのどれもこれも、真か偽か正か負かなどの区別なんか付けることは出来ないのだった。そんなことが出来たなら、こんなに悩んだり苦労したりなんかしない。 「さっきまで、起きてたんだけど。・・・眠ったのか、俺」 声の調子がいつもの祭のものに戻る。どうやら怒ってはいない、ようだった。 「別に寝てていいですよ。この豪華過ぎるお夕飯のお礼に、一晩だけなら貸してあげてもいいです」 「その豪華過ぎるお夕飯には今日はデザートがあるぞ」 「今日は誰かのお誕生日でしたっけ」 「俺の誕生日」 「え?」 「・・・本当のじゃないけど、ある意味本当の」 「わけわかりません。私お風呂入りますから、あ、盗聴器とかまた仕掛けてないですよね。お風呂場に付けたって、どうせシャワーの音だけしか聴こえないんだから面白くないですよきっと」 着替えを用意して洗面所兼浴室へ向かおうとした可奈の腕を、ベッドの上で祭がはっしと掴んだ。 「な、なんですか?」 思わず祭の方を向いてしまい、それから可奈はそうしたことを激しく後悔した。 大きく開かれたシャツから見えた男の胸に、どっくんと胸が高鳴った。ヤバ、と思って目を逸らす。しかし顔が、酒のせいだと言えないほどに赤くなってしまったことにも自分で気が付いてしまった。 「・・・ずっと待ってた」 「あ、そ、す、すみません、その、きょ、今日は奈津・・・と、友達と・・・あって・・・メール、見るの・・・遅く・・・」 ぐいぐいと、可奈は掴まれた自分の腕を引っ張る。放してくれない。 「・・・あの日だって、ずっと待ってた」 「あ、あのひ?」 「最初に告白した日。雨が降らない前から、俺はずっと待ってた」 「え・・・?」 カタツムリ告白の、あの日のことが可奈の脳裡にも蘇る。 携帯で送られてきた『話がある』という祭からのメール。 現メンバーでのサークル最後の飲み会の話だろうか、ぐらいにしか考えていなかった可奈は、講義が終わった後すぐに指定された場所へ向かった。雨は降っていたが傘は持っていなかったのでそのままで歩いた。小雨だったから別に気にしてはいなかった。 待ち合わせ場所には、可奈の予想に反し祭が一人だけで立っていた。そこに他のサークルのメンバーの姿はなかった。 そして祭は、この小雨の降る中で、それが小雨であるにも関わらず何故か、水が滴る程に濡れてしまっていた。 その理由が、今、判った。 雨が降り出したのはお昼前。その時には、もう少し強い雨が降っていた。 その日は可奈は午後の授業を1つで終わらせることを知っていたから、祭はその後の時間を指定してきた。 それから祭は、可奈には到底理解不能な理由で、2時間近くも前から、待ち合わせの場所で一人で待っていたのだ。 雨に濡れるのも構わずに。 指定の場所を屋内に変えることもせず、一人でそこで待っていた。 「な、なんでそんな・・・。今時純情少年だって初デートでそんな早くに待ち合わせ場所に行ったりしませんよ??」 「凄く緊張してたんだ、仕方無いだろ。でも全然落ち着かなくて・・・そしたらその内雨が降ってきて・・・そしたら段々・・・体も冷えてきて頭も段々覚めてきたから・・・その時に、可奈が来たんだ」 「そん・・・」 可奈は知らなかったが、その翌日可奈が風邪で学校を休んだのと同じように、祭もまた風邪で寝込んでしまっていたのだ。 ぽつりぽつりと、1年と三ヶ月前のそんな状況を話されて、可奈は正直どう対応していいのか迷った。 こんな小さな部屋には「びっくりカメラ」の札を持って現れる人間が隠れられる場所などない。 さっきクローゼットを開けたが何も居なかった。 もしかして洗面所の方に居るかもしれない。可奈は確かめたくて祭に掴まれた手を引っ張った。けれど放されない。 先輩の気持ちはもしかして本当のモノなのだろうかと、可奈はつい、祭の言葉“信じてしまいそうに”なった。 慌てて頭を振る。 そんなわけない。相手と自分では、あまりにも、あまりにも色々なことが違い過ぎるのだから。 高望みはしない夢も見ない。それをしてしまって傷付いたことがあるから。もうあんな思いは御免だ。「好き」という言葉を完全に信用してはいけない。疑え、疑うのだ。 必ずどこかに、カメラがある。 「先輩、私は」 「これでも一応忘れようとは思ったんだ。でも、可奈が・・・、お前が俺と同じ職場に入ってきたから・・・」 運命だと思った、と、祭はそんな恥ずかしいことを言った。 テレビでストーカーがテレビ関係者に言ったことと同じ言葉だった。 彼女を一目見た時からこの人しか居ないと思った。 彼女にもう一度会えたから運命だと思った。 彼女だって本当は僕のことを・・・云、々! 「運命なんかじゃありません!偶然です!偶然!」 「偶然なら運命だ」 「そんなものは信じません!だ、だって私は先輩のことなんて・・・っ」 ぐいと掴まれていた腕を引っ張られた。 可奈は小さく悲鳴を上げて、次の瞬間にはベッドに倒れ込んでいた。 「ちょ、せんぱ・・・っ」 次の行動はなんとなくだが可奈にも予想が付いた。 一人用なのに二人も乗せて、ベッドもぎしぎし悲鳴を上げていた。 可奈の体に覆い被さるように祭が居る。 間近に祭の顔があって、次にその吐息が瞼に掛かって、可奈はびくりと体を震わせた。 ヤバい、ヤバい、ヤバい。 じん、と体の内側が熱くなってくる。今触れられれば恐らく外側もそうなる。 「好き、なんだ」 そしてまた、祭は信じられない台詞を口にした。 「もう、あれこれ想像するだけじゃ、足りない」 「だ、だからそういう行為は他の方に・・・っ」 「可奈にしたい。今も、すごく」 「や、やです、その、わ、私なんか、全然お、面白くなんかないですっ!もっと他に・・・せ、先輩を喜ばせられる方は、た、たくさんっ・・・」 「・・・そんなことない、面白いぞ?今の可奈は、すごく、面白い」 「からかうのはやめて下さいっ!も、お、重い、し・・・っ」 その体を押し返そうと可奈は祭の胸に手を当て必死に押し返そうとする。 しかしびくともしない。どんなに腕に力を入れても、入れても、入れても、・・・力が抜けていく。 「好きだ」 今度は耳元で囁かれる。酒を飲んできた可奈よりも、その息は、熱い。 「だ、だめ、だめです、せん、おね、おねが・・・」 「きかない」 「せんぱ・・・」 「今までずっと俺が我慢してきたんだから、今度は、・・・今夜だけは、可奈が我慢して」 祭の指が、可奈のシャツのボタンに触れた。一つずつ片手でそれを外しながら、段々と露になっていく胸元に唇が触れてくる。 強姦、ではない。でも、犯される。 可奈にそのことに対する恐怖は無かった。むしろ、体は素直にその先を求めていた。 経験不足の体のくせに、それとも、そうだから貪欲に求めてしまうのか。 『指が、凄いのよ』 一年の時。 サークルに入って少し経った頃、女の先輩達がこそこそと話しているのを聞いたことがあった。 『“アレ”よりも?』 『アレもそうだけど、もう、一度やられちゃったら、忘れられないわよ、あの指は』 『ウソウソ、私も頼んだら一回だけしてもらえるかな?』 『さあねぇ。運が良ければ体験出来るかもね』 話題に上がっていたその“指”が、今は貧相な自分の胸の膨らみを撫でている。 こうなった今でも信じられない。 これは夢ではないだろうか?そうかもしれない。 そんなに飲み過ぎたわけでもないが幻を見ているのかもしれない。 たった一晩だけの、あまりにも儚い夢、マボロシ。 「可奈、・・・いい?」 「・・・へ?」 「この先」 「っ!も、もう、し、知りません・・・っ!!」 夢や幻にしてはあまりにもリアルな感触と台詞。夢の人間ならそんなこと訊かない内に快感の海へダイブして終了である。 そして夢でも幻でもない本物の人間の男の指がそっと可奈の大切な部分に触れてきて、 ・・・先輩達の話は紛れも無い真実であったと、その夜可奈は自らの体で思い知ったのであった。 トントントントン・・・トン、トントントントン・・・ 包丁がまな板を叩く音が規則正しく聴こえる。 その音が二日連続で聴こえるというのは初めてのことだった。可奈はいつものようにゆっくりと目を開く。 完全に開ききる前に頭は勝手に覚醒してくれる。そして夜の出来事も瞬時に思い出させてくれる。 ベッドの中で、可奈は裸ではなくちゃんとパジャマを着ていた。 あの後のことを可奈はよく覚えてはいないが、祭が浴室まで連れて行き風呂に入れてくれ、パジャマを着るのも手伝ってくれてベッドに可奈を寝かし付けたのだった。 「・・・・・・・・・」 床に下りた可奈は、部屋の隅の方に薄地の毛布が畳まれているのを見つけた。どうやら祭は床の上で夜を過ごしたようだった。 ぺたり、ぺたりと廊下へ続くドアへ近付き、そのすぐ前でぴたりと止まる。 向こう側からはぐつぐつという鍋の煮える音と、まな板の上の音は今度はざくざくという葉野菜を切るような音に変わっていた。 ―――このドアを開けると、「びっくりカメラ」の看板があるに違いない。 可奈はすうと息を吸い込んだ。 それを見せ付けられぽかんとしたところで、リポーターがぐいぐいマイクを近付けてこう言うのだ。 『一夜だけの夢はしっかりご堪能されましたか?』 (ご堪能してしまいました) 指だけでなくちゃんとどれもこれも素敵なものでした。 ふうーっと息を吐いて、可奈はかちゃりとドアを開けた。 キッチンには、4日に一度だけの筈の男の姿があった。 同じ大学、同じサークル、そして今は同じ会社の先輩であり、目下彼女のストーカーでもある彼、双馬祭は、鍋の中に今まさにほうれん草を投下したところであって、 「おはよう可奈。もうすぐ出来るから、新しく仕掛けたヤツでも探しながら待ってて」 にっこり笑って、朝食の代わりにいつもの発見器の機械を可奈に手渡すのだった。 END. |